飼育員ブログブログ

2024年9月23日(月)類人猿舎の歴史1~建設前~

 動物園は、時代を映す鏡とも言われ、その時の社会情勢に影響を受けています。
 戦後の復興として、昭和25年(1950)以降、動物の到着が相次ぎ、それらの動物を収容するための檻が整備されていきました。また、動物演芸が戦前から行われており、

 昭和11年(1936)チンパンジーのマル


 昭和14年(1939)インドゾウのジャンボ

観客の誘致には欠くことができない取組との考え方があり、昭和26年(1951)4月に来園したチンパンジーのオス(トム)とメス(メリー)も、来園後すぐに訓練に取り組み、自転車乗りなどを披露しました。

 チンパンジーのオス(トム)の自転車乗り

 その後、昭和28年(1953)4月に、現在の類人猿舎の辺りに野外演芸場が整備され、土曜日の午後1回、日曜と祝日は午前と午後、それぞれ1回ずつ動物ショーが開演されました。

左奥に見える白い円形の建物は、同じく昭和28年に建設された「海水水族館」

現在の疏水記念館辺りから見た「動物演芸館」

 チンパンジーのテーブルマナー、オウムの梯子登り、ニホンザルの自転車乗り、タヌキの綱渡り、イヌの車引き、アシカの平均棒渡り、ゾウのラッパ吹きなどが主な演目でした。

 ↑クリックすると公式Youtubeで動画がご覧いただけます。
アシカ
ニホンザル

 ステージに向けた訓練は園内で行われていた?

 しかし、動物演芸は動物愛護の精神に反し、動物に対する過度の精神的負担が命を縮める結果を招くという理由で、昭和31年(1956)の春で中止されました。
 ただ、昭和30年(1955)に来園者が直接動物と触れ合うことを通じて、動物との触れ合いの仕方、家畜と人間の関わり合い、動物に対する思いやりの心を育てるという目的をもって「お伽の国」が開設されており、ゾウやロバに乗るなどの触れ合いは体験は行われていたようです。

        昭和35年(1960)

 また、動物演芸館は類人猿舎建築のために撤去(昭和43年(1968))されるまで、式典やイベント等で使用されていました。
動物慰霊祭の様子

昭和36年(1961)ビーバー来園時の式典

 ちなみに、現在の疏水噴水横の雨天休憩所(インクライン機械室上)も、昭和23年(1948)から野外劇場として利用されており、児童の踊りや幼稚園児の音楽会や映画会などが催されていたようです。
 ご存知の方や経験された方がいらっしゃいましたら、ぜひ情報をお寄せください。


仁王門通りからの眺望(中央:インクライン機械室上の野外劇場、中央奥:ゾウ舎、
左:白い建物はホッキョクグマ舎、右端:見切れているのは海水水族館)

 昭和39年(1964)8月には、自然観察か動物愛護かの議論が、本園のヘビの飼育管理に端を発して巻き起こっています。

 この時代、動物演芸、動物愛護、自然観察、触れ合いと、様々な点から動物園の運営を考える機会があったのだと感じ、こうした積み重ねが、今につながっていると思います。
 園長 和田