飼育員ブログブログ
2010年3月28日(日)同期はベニフラミンゴのオス(No.1)
私は昭和40年3月、京都市動物園の飼育係として就職し、45年間勤めてまいりましたが、この3月をもって退職することになりました。
10年一昔といいますが、45年前の動物園と現在では隔世の感があります。当時入園料が40円でした。ただ、おとぎの国へ入るには10円の別料金が要りました。
正門や事務棟が立派な建物に替わり、図書館内の動物の書物、資料の膨大さに驚くばかりです。噴水池の噴水は勢いよく出ていて、今は枯れて無くなった御手植松の黒松と赤松は青々とそびえ立っていました。今は更地になっているところに南猛獣舎があって、ライオンのオスとトラのメスが一緒に入っていました。いわゆる、雑種のライガー作りをしていたのです。
水族館もありました。今のシマウマ舎のところです。その奥に草川があって、セリが生えて、夏にはホタルも飛んでいました。宿直の晩の楽しみは、その川へ入り魚を手づかみすることでした。アユとハイジャコは我々がいただき、オイカワはタンチョウにあげたものです。その草川を渡ったところが新開地と呼ばれたカモシカ舎があり、万霊塔もその中にありました(今の疏水記念館のあたりです)。動物舎の暖房はすべて石炭だったので、ボイラーの人は寝ずに温暖室やキリン舎を往復していました。
動物の種も数も多く、今のほぼ倍程あったと言っても過言ではありません。小鳥舎には沢山の鳥篭に入った小鳥やインコを陳列していて、その中に当時動物園で一番長生きしていたキバタンのシロちゃんもいました。時間がある時は、篭から出してやったのですが、その時喜んで「ホーホケキョ」とウグイスの鳴きマネをしながら雑草をつまんだものです。クマやサルの人工保育、エミュー等の育雛も忙しく、ハクチョウの雛用の餌に、山科や醍醐にある池や二条城の堀へ藻を採りに行ったのも懐かしい思い出です。
先輩は皆威厳があり、朝早く出勤し、早く終えるのが現場の仕事で、遅くまでかかっていると、「段取りが悪いからだ!」と言って怒られたものです。園長や獣医は朝夕必ず巡回していました。特に猛獣のカギの確認に目を光らせていたのは、かって(昭和7年6月1日)、ライオンのオス、小桜号脱出事件の教訓からでしょう。それと掃除にもうるさく(私は寺の子でしたので掃除は苦にならず)、皆園内の隅々まできれいにしたもので、「京都の動物園は、狭いけど美しい」と評判でした。
桜の頃には、来園者の数も今とは比べものにならず(1日2万人の時も)、従って、ゴミも大量に出た為、閉園後、事務所の職員も総出で皆で掃き掃除をしたものです。その後で出たパンと牛乳は若い私には楽しみでもありました。
45年経った今、振り返れば過去は芒々として、浦島のような心境です。当時の私を知っている人も動物も居なくなり、変らぬものは東山と疏水だけかと思いましたが、いました!いました!
No1と呼ばれるベニフラミンゴのオス(写真右)です。私と同じ昭和40年3月に入園しました。
夏の沖縄より暑く、冬の北海道より寒いといわれる都の厳しい春秋に耐えて、これからもずっと元気で過ごしてほしい。
いつか又会いに来るからネー。
終り
担当 高橋 鉄雄