戦争と京都市動物園動物園のご紹介

京都市動物園には、どのくらいの動物がいるか知っていますか?哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類・魚類を合わせて、令和6年7月時点で109種626点の動物が暮らしています。
京都市動物園は、日本では東京の上野動物園に次いで歴史のある動物園で、今から120年以上前の明治36年4月に開園しました。

開園当時の動物は、ウマやシカ、タンチョウや伝書鳩など、61種238点と、現在よりとても少ない収容数でしたが、その後動物園内で繁殖したり、外国の動物園から動物を買ったり譲り受けたりして、昭和15(1940)年には209種965点まで増えています。

しかし、その5年後、その数が72種274点と、急激に減っている時期があります。なぜでしょうか。
そう、その頃には戦争があって、たくさんの動物が死んでしまったからです。

戦時中の動物園といえば、猛獣処分を描いた絵本、「かわいそうなぞう」を読んだことがある方も多いでしょう。寒さや飢えで死んでいく動物ももちろん多くいましたが、京都市動物園でも猛獣処分の事実がありました。

昭和14(1939)年9月にヨーロッパで第二次世界大戦が始まり、ベルリンやロンドンの動物園の猛獣は、空襲を受けた時のために毒殺・銃殺されました。そのニュースは日本にも流れ、京都市民も不安を持つようになりました。動物園側は、そんな市民の不安を払しょくするために、「猛獣たちは鉄筋コンクリートの寝室に収容されているため、空襲で爆撃されても脱出の危険はなく、爆撃を受ければ逃げるより前に死んでしまうから、事前に処分する必要はない」と、熱心に説明しました。「猛獣が逃げると危険だ」といううわさが広まる前に沈静化するよう、懸命に努力したのです。

昭和16(1941)年12月に、日本は太平洋戦争に突入しましたが、戦争が始まっても、京都市動物園は開園していて、昭和17(1942)年までは春季夜間開園も行われていました。「日本は戦争に勝っているから大丈夫。」という感覚が市民の中にあったのかもしれません。

しかし、その翌年から日本各地で閉園する動物園が出始めました。食糧不足も深刻になり、職員たちは動物の餌を確保するために動物園内の空き地で野菜をすでに栽培していましたが、新たに昭和18(1943)年9月からは京都市北区紫野大徳寺町の土地を借り、竹藪を開墾して畑づくりを始めました。

動物たちを餓死させまいと尽力する一方で、他の動物園の状況を見ながら対応を検討していた矢先の昭和19(1944)年3月12日、ついに軍より猛獣類を処分するよう命令が下ります。その時園を訪れた第16師団の参謀長は、皮肉にも以前動物園に動物を寄贈した人でもありました。

せめて1日待ってほしいとの園側の懇願で、翌日から処分の作業が始められました。
3月13日にヒグマの親子。
3月15日にホッキョクグマなど3頭。
以後、ライオン、ツキノワグマ、トラ、ヒョウなど14頭を銃殺・絞殺・薬殺などで処分、最後に残ったメスのヒョウとオスのシマハイエナは香川県の栗林動物園に引き取られることになりました。

軍の処分命令は、「空爆でオリが破壊された場合に、猛獣類が脱出して人を襲うのを防ぐ」というのが表向きの理由でしたが、「親しんだ動物を処分しなければならないのは、敵国のせいだ」と思わせ、戦争に危機感のない国民の戦意高揚を図る狙いもあったのでしょう。

終戦後、生き残ったキリン1頭はその年の10月に、ラクダ3頭中1頭もそれに引き続き死亡し、インドゾウ1頭も年明けの1月に死亡しています。

猛獣処分の行われた年には、大々的に動物慰霊祭が行われました。慰霊祭は、大正13(1924)年からほぼ毎年秋に行われていますが、この年の慰霊祭にはこれまでと違う意味合いも込められていたのかも知れません。今では、歳を取ったり、病気やけがで死んでしまった動物たちに「命の大切さを教えてくれてありがとう」という気持ちを込めて、慰霊祭を行っています。

動物園は、動物を眺めて楽しんだり、動物の暮らす環境に思いをはせたり、動物をさわって命を実感したり、動物を通してヒトとはどんな生き物なのかを知ることができたりする場所です。しかし、それは平和でないとできないことです。戦前戦後の上野動物園長だった古賀忠道氏は、「ZOO IS THE PEACE」(動物園は平和そのものである)という言葉を残しています。平和な世の中でなければ、動物園は成り立たず、人の愛は動物に及ばないということです。

戦争で犠牲になったのは、動物園の動物だけではありません。ペットの犬や猫もその当時たくさん殺されました。戦時中は、動物をかわいがったり大切にしたりするような、当たり前のことができなくなるのです。身近な京都で、ほんの数十年前に起こったことを知って、それを忘れずに、動物と人がともに幸せに生きていける社会が続くようにしていかないといけないですね。

参考:京都市動物園100周年記念誌 「京都市動物園100年のあゆみ」(平成15年発行)